回憶の最近のブログ記事

各務原

岐阜県に各務原という地名がある。

木曽川沿いにあるところで、犬山城の向かい側あたりにある。

ツインブリッジを越えたところでこの地名を看板でみた。
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各務原に来てみたかったのだ。
飛行機が好きな人として。

この地は日本ではじめて飛行機が飛んだ頃からある飛行場があるのだ。
そして、かかみがはら航空宇宙科学博物館 というのがある。
今回は見に行けなかったけど。

私の祖先の一人は、日本に航空機がきたころ黎明期の飛行船・飛行機の整備兵だったのだ。
伝え聞く話によると。
埼玉の入間飛行場から各務原まで飛行機を運ぶのに牛車で駅まで運び、電車で永遠と各務原までもっていたのだそうだ。
 飛行機だから飛んで持って行けばいいのにと思ったらしいが、当時の技術では飛行機は入間から各務原まで飛んで行けなかったということだ。
 当時の飛行機はもちろん雨の日も飛行できない。とにかく初期の複葉機はそんなだったそうだ。

「各務原」の看板をみてそんな話を思い出してしまった。
いつか時間ができたら、各務原まで行ってみよう。博物館をみて、そんな昔話を思い返したいのであった。

おしまぃ。

回天記念館

回天とは。
日本海軍が第二次世界大戦で作った特攻兵器である。魚雷に人間が乗る場所をつけ操縦できるようにしたものである。
元々の意味は、時勢を一変させること。衰えた勢いを盛り返すこと。 幕末の動乱期にも使われた言葉である。
さらに古い語源となる言葉があるはずなんだけど、わすれた。^^;

なぜ回天記念館に行ったのか。。。。
学生のころになる。私は実験計画法という講義を受けていた。講義は古くから話しだけど今でも十分通用する話。
その講義の先生は、旧海軍の技術将校であった。そして船舶の設計にかかわっていた。そして回天の話もしてくれたのだ。どんな話をしたかいまでは多く覚えていないのだが。行き道しかない船だったと。語る言葉は武人の言葉だった。その先生とは戦艦大和の球状船首(ばるばすばう)の話で盛り上がったことがある。自慢げに話して、なんでお前はそんなことを知っているのだと驚いていたっけ。

そんなわけで。
「回天」という名前と「呉工廠」の名前だけは私は覚えていた。おかしなものでその先生の顔は思い出せるのだけど、名前はすでに失念してしまった。私が年をとったということである。

徳山に行く話しがあったとき、地図をみていると回天記念館というものがあることを知る。古い記憶が少しずつよみがえり、行ってみるかと思うにいたったのだ。

徳島港から大津島(馬島)にはフェリーでいく。
すこし歩くと回天記念館がある。

海辺には回天の繋留する場所があった。とてもきれいだった。
海がとてもきれいなところで。道具があれば泳ぎたかった。

この沖合いは戦艦大和も通ったんだ。と、帰り際にフェリー乗り場のおじさんから話を聞くことができた。このさきの海軍燃料工廠に燃料補給のため日本の連合艦隊はきたのだと。燃料工廠跡地はいまはグランドになってるけど、一部は出光になってるんだなどなど、歴史話を聞くことができたのだ。出光が民族系の石油会社という話しは長く聞いていたけれど、昔の軍までさかのぼるということは初めて知った。
 小さいころ戦艦大和の模型をつくって風呂に浮かべて遊んだ私としては、美しい海の景色と戦艦大和の勇姿がまぶたに重なって見えた。

帰りのフェリー乗り場で、回天記念館初代館長の高松氏にお会いすることができた。氏の思い出話(電磁爆弾など)を拝聴することができたのは望外の喜びとなった。小柄ながらも厚い胸板をもったかたであった。
 もっともお会いしたのが高松氏だったと知ったのは帰ってインターネットで回天記念館のことを調べてのことであったので、お会いしたときは小柄で温和だけど迫力あるおじいさんだと感じたのだ。

この回天記念館は多くの霊魂を奉る場所だと思う。戦争とは何か考えるには良い場所だろう。
護るべき物のために命を落とした人々の鎮魂のために日本にあるものが消え去らないように我々は語り継がなくてはなるまい。
先の大戦で命を落とした御霊の上にいまの国があるのだと改めて思うのであった。
私は愛国主義者なんだと思う。

回天の島についたところ。
大津島に行くのだけど、フェリーの切符には馬島と書いてある。大津島と馬島はくっついてはいるんだけど、鳩中にくびれがあって片側を馬島、もう片側を大津島というみたいだ。地図によるとそうなってる。
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先に外にある回天発射場跡を見る。回天発射場というけれども回天の訓練をしたところである。コンクリートの立派な建物である。
行く途中の坑道。戦時中はこのなかを回天が通ったのだろう。とても綺麗に整備されている。
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少し道幅が広くなっているところがある。
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坑道をでたところにあった説明板。
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そこからみた回天発射訓練基地跡
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回天発射訓練基地跡の説明板
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基地跡
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基地遠景 帰り際に撮影。 なんて水が透明なこと。
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回天記念館へは徒歩で少し登ったところにある。
入り口門柱
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回天記念館の本館 なかには勇姿がたくさんある。彼らが護るに値する国になっているだろうか。
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そとに展示してある回天。これにのって出撃したの
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回天記念館を見たあとにその裏山(名前はなかったと思う)へ登る。
頂上にはモニュメントがたっている。とても見晴らしがよい。
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眼下に海が見える風景って気持ちいいな。ものすごく気持ちいい。天気もよかったし。
遠くに見えるのは徳山港
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頂上にあった方位盤
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頂上から見た馬島方面 この山は大津島の頂上。向こうが馬島 あいだの湾状のところの海が綺麗にみえた。
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瀬戸内海 大津島で見た瀬戸内海
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瀬戸内海と日本海軍と瀬戸内海と。。
少し前の時代を垣間見た気がする。
ほんの少し前までの日本の一部。忘れてはいけないと思う。

おしまぃ。

久しぶりに美しい人に会う。

その人の送別会だったのだ。
いまから5年前ほど1年間一緒に仕事をした。そのあとは時々顔をあわせる程度。

美しいだけでなく、とても聡明で賢かった。

大きな声ではいえないが、私がいい加減にやっていた伝票処理全般を綺麗にやり直して資料にしてくれた。大変有能な人だったのだ。

有能で美しいとなれば、惚れないわけはない。・・・・が。まぃいい。

あのころ、とても楽しく仕事をすることができたことを本当にありがたく思う。
とても有能な人なので、どこかでまた良い仕事をすることだろう。

おしまぃ。

花園神社

新宿駅から少し歩いたところにある。
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先日偶然通りかかった。

すごく古い記憶が甦った。
そう。花園神社で夜遅くまで遊んでいた日のことを。

あぁあの頃はよかったなぁ。将来のことなんかなーんも考えなかったし。
よかったのぉ。

早稲田へ行ってラーメンをたべた。学生街なので量が多いのだな。
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おしまぃ。

昔。

塔の町といわれる、サンジミニャーノに行ったのだ。イタリアである。
はるか昔のことなので・・・。
街の名前も忘れていた。

とある写真を見ていたら、どこかでみた景色。
そだ。。
あのときの街だ。
そうかぁ。
サンジミニャーノっていうんだったんだ。

思い出した。

うん。

恋の窪という地名がある。

とてもとても長いこと忘れていた。

 昔こんな会話をしたんだ。

「奈良に恋の窪ってところがあるんよ。 なんでそんな地名なのかな。恋してるところなのかな」
「へぇ~。うちの近くには、恋ヶ窪って場所があるよ~。似てる名前だねぇ。そこでも恋がたくさんあるんだろうなぁ」
 
他愛もない会話だったんだ。
10年も前の話で、いままで思い出すこともなかった。
なぜ、今頃思い出したのだろう。

奈良の新大宮駅の近くで、とても懐かしい想い出が込み上げてきた。

雨音の中で思う。踊るのが好きだった。

おしまぃ。

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