回天記念館
回天とは。
日本海軍が第二次世界大戦で作った特攻兵器である。魚雷に人間が乗る場所をつけ操縦できるようにしたものである。
元々の意味は、時勢を一変させること。衰えた勢いを盛り返すこと。 幕末の動乱期にも使われた言葉である。
さらに古い語源となる言葉があるはずなんだけど、わすれた。^^;
なぜ回天記念館に行ったのか。。。。
学生のころになる。私は実験計画法という講義を受けていた。講義は古くから話しだけど今でも十分通用する話。
その講義の先生は、旧海軍の技術将校であった。そして船舶の設計にかかわっていた。そして回天の話もしてくれたのだ。どんな話をしたかいまでは多く覚えていないのだが。行き道しかない船だったと。語る言葉は武人の言葉だった。その先生とは戦艦大和の球状船首(ばるばすばう)の話で盛り上がったことがある。自慢げに話して、なんでお前はそんなことを知っているのだと驚いていたっけ。
そんなわけで。
「回天」という名前と「呉工廠」の名前だけは私は覚えていた。おかしなものでその先生の顔は思い出せるのだけど、名前はすでに失念してしまった。私が年をとったということである。
徳山に行く話しがあったとき、地図をみていると回天記念館というものがあることを知る。古い記憶が少しずつよみがえり、行ってみるかと思うにいたったのだ。
徳島港から大津島(馬島)にはフェリーでいく。
すこし歩くと回天記念館がある。
海辺には回天の繋留する場所があった。とてもきれいだった。
海がとてもきれいなところで。道具があれば泳ぎたかった。
この沖合いは戦艦大和も通ったんだ。と、帰り際にフェリー乗り場のおじさんから話を聞くことができた。このさきの海軍燃料工廠に燃料補給のため日本の連合艦隊はきたのだと。燃料工廠跡地はいまはグランドになってるけど、一部は出光になってるんだなどなど、歴史話を聞くことができたのだ。出光が民族系の石油会社という話しは長く聞いていたけれど、昔の軍までさかのぼるということは初めて知った。
小さいころ戦艦大和の模型をつくって風呂に浮かべて遊んだ私としては、美しい海の景色と戦艦大和の勇姿がまぶたに重なって見えた。
帰りのフェリー乗り場で、回天記念館初代館長の高松氏にお会いすることができた。氏の思い出話(電磁爆弾など)を拝聴することができたのは望外の喜びとなった。小柄ながらも厚い胸板をもったかたであった。
もっともお会いしたのが高松氏だったと知ったのは帰ってインターネットで回天記念館のことを調べてのことであったので、お会いしたときは小柄で温和だけど迫力あるおじいさんだと感じたのだ。
この回天記念館は多くの霊魂を奉る場所だと思う。戦争とは何か考えるには良い場所だろう。
護るべき物のために命を落とした人々の鎮魂のために日本にあるものが消え去らないように我々は語り継がなくてはなるまい。
先の大戦で命を落とした御霊の上にいまの国があるのだと改めて思うのであった。
私は愛国主義者なんだと思う。
回天の島についたところ。
大津島に行くのだけど、フェリーの切符には馬島と書いてある。大津島と馬島はくっついてはいるんだけど、鳩中にくびれがあって片側を馬島、もう片側を大津島というみたいだ。地図によるとそうなってる。
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先に外にある回天発射場跡を見る。回天発射場というけれども回天の訓練をしたところである。コンクリートの立派な建物である。
行く途中の坑道。戦時中はこのなかを回天が通ったのだろう。とても綺麗に整備されている。
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回天記念館の本館 なかには勇姿がたくさんある。彼らが護るに値する国になっているだろうか。
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回天記念館を見たあとにその裏山(名前はなかったと思う)へ登る。
頂上にはモニュメントがたっている。とても見晴らしがよい。
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眼下に海が見える風景って気持ちいいな。ものすごく気持ちいい。天気もよかったし。
遠くに見えるのは徳山港
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頂上から見た馬島方面 この山は大津島の頂上。向こうが馬島 あいだの湾状のところの海が綺麗にみえた。
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瀬戸内海と日本海軍と瀬戸内海と。。
少し前の時代を垣間見た気がする。
ほんの少し前までの日本の一部。忘れてはいけないと思う。
おしまぃ。





